私の夏の楽しみといったら、もっぱらプロ野球のナイター観戦だ。
クーラー嫌いの私にとっては、ベランダのデッキチェアーに腰掛け、夜風を感じながら冷たいビール片手に贔屓チームを応援するのがなにより最高のひとときだ。
ほんの数年前まではスマホ視聴で満足していた私だったが、ある頃から物足りなさを感じ、ベランダでも大きな画面で観たいと思い始めた。
その時期、企画開発チームでは「テレビを本当に使いたい場所に置くために、テレビスタンドはどうあるべきか」をテーマに連日話し合っていた。そのため、より良い視聴環境を求めることに貪欲になっていたのだ。
とはいえ、室外にテレビを置くわけにはいかないし、ベランダから見ることを考慮してテレビの置き位置を決めるのは現実的ではないだろう。仮にもう一台購入したとしてもナイターの無い日は持て余してしまう。
“テレビが簡単に動かせれば一台で何役にもなるし、
楽しみはもっと広がるに違いない。”
お客様が求めている「自由なテレビの視聴環境」はまさにこれではないか。天啓のようなひらめきを得て、私は「移動できるテレビスタンド」の開発を会社に提案することにした。
私の熱意が伝わったからなのだろうか。地上波の視聴以外にも配信動画やゲームなど、より「プライベートな使い方」ができそうだと次第に賛同してくれる仲間が増え始め、事はトントン拍子に進んでいくように思えた。
ところが、底にキャスターを取り付ければ済む程度に考えていた私の提案に対し、上司から「待った」がかかった。グッドデザイン賞を獲得している「WALLテレビスタンド」にふさわしいものでなければ認められない。「動かす」という機能を追加することで、「WALL」の美しさを犠牲にしてはいけないのだ。
「EQUALS製品」のアイデンティティともいえるスタイリッシュなデザインの壁がいきなり立ちはだかった。
賛同してくれていた仲間を巻き込みながら、デザインはどうあるべきかを詰めていった結果、
“キャスターは見えない方が望ましい”
“より低く、キャスターがあることを感じさせない”
という答えに辿り着いた。
市販のキャスターでは十分な低さを確保できないことが判明したため、自社で開発するよりほかはなかった。当初は高さを抑えられる「ボールキャスター型」を考案したが、「ごみ」や「埃」を巻き込むことによってブレーキがかかり床を傷つけてしまったり、ベアリングの油汚れが床についてしまうことが次第にわかってきた。これでは本末転倒だ。
試行錯誤を経て、ようやく試作第一号が上がってきた。周縁にベアリングが配置された円盤に車軸を固定する新しいキャスターの原型。どこにも売っていない「完全オリジナル型」だ。着想は以前観たSF映画に登場するバイクから得た。ハンドルがタイヤの横にあってシルエットが極限まで低く、カッコイイ近未来感が漂う。ずっと気になっていたそのデザインが意外なところで役に立った。「ボールキャスター型」の欠点も改善できたことで、プロジェクトは一気に動き始めた。
暮れも押し迫った頃、ブラッシュアップを重ねてきた試作もようやく現実味のある形になりつつあった。十分な耐荷重を確保するために車輪以外は金属製のパーツを採用。併せてキャスターを数多く配列させることで、「製品のゆがみ」や「床を傷つけにくく」なることが実験により裏付けられた。
見えない裏側を意識せずに不自由なく使ってもらえること。これこそがこの開発の肝であり、価値なのだと、ここにきて初めて気づかされた。プロ野球の春季キャンプが終わる頃になって、長かったキャスター開発も製品化に向けて大詰めを迎えていた。
企画開発チームが固唾を呑んで見守る「最後の関門」。耐震の実証実験こそがそれである。これは全ての「WALL」製品を対象に、安全性確保を図るため、最も厳しい条件で試験に臨む決まりだ。ここまで読んでくださった方なら、結果はもうお分かりだろう。キャスターを搭載した5機種について耐震試験を行ったところ、すべて基準をクリアすることができた。
今年のナイター観戦は格別だ。テレビを近くまで引き寄せてベランダから眺めるテレビは、スマホより大きい分、迫力ある映像で白球までもはっきり見える。
9回裏。ふわっと上がった打球をカメラが追う。逆転の一打を確信するまでに時間はかからなかった。観客席の歓喜の渦が見て取れる。思わず決めたガッツポーズで、手に持っていたグラスからビールがほとばしった。
株式会社ナカムラ 企画開発グループ
インダストリアルデザイナー 栗田 孝
2005年に工学大学院修了後、建設機械メーカーに就職。重機等の設計開発に従事する。
鉄工所に転職。最前線で金属加工のノウハウを培う。
2020年に株式会社ナカムラ入社。主にWALL TVスタンドの開発メンバーとして現在に至る。